YOSHIと光GENJIの総括
この前、サンデープロジェクトで田原総一郎が田中角栄とのことをいつか総括しなければと思い、30年かかってようやくひとつの本にできたと言っていた。
・・・そうか!物事を終結させるには総括が必要なのか!
って思って、俺は光GENJIについての総括をしてみようと思った。(はぁ?)
約15年前の記憶をたどり、色々な資料を集め、かかった時間はなんと3分弱!
・・・いや〜ネットってのは便利なもんでね、検索すれば何でも出てくるもんだ。
出てこないのはこのサイトぐらいなもんで・・・(笑)
話を戻すと、そもそも、俺が光GENJIに首ったけ(死語)になり、ゾッコンラブ(超死語)に陥ったのは、
『ガラスの十代』あたりからなので、年代から考えると小2の時だな。
好きになった理由はアレだ、俺と同じ名字のヤツが2人いたからだな。(イヤ、マジでそんな理由なのよ)
しかも、その内のひとりは俺の親父と同姓同名!(漢字は違うけどね)こりゃ、好きになるしかないでしょ?(笑)
『ガラスの十代』発売日から憶測するに、好きになったのは小2の冬ぐらいかな?87年の12月ぐらい?
余談だけど、光GENJIの初期の3曲(『スターライト』、『ガラスの十代』、『パラダイス銀河』)と
ファーストアルバムの全曲はチャゲアスが作ったらしい。飛鳥一人の仕事と思っていたら、
チャゲも何かにかかわっていたようだ。何したのかな?バンダナの巻き方指導とかかな?(苦笑)
でもって、またまた話を戻すと、そこから俺の光GENJI熱はヒートアップしていったね。(熱がヒートアップ?)
とにかく、あのテレビでのグダグダっぷり・・・もとい、ヤンチャぶりから目が放せなかった。
ローラスケート履いて、歌の途中転ぶし、口と歌の歌詞あってねーし、そりゃ〜ヤンチャだったなぁ。
・・・そりゃ〜、黒柳徹子も髪型が盛り上がっていくっつー話。
でもって、熱が冷め始めたのが、翌年88年10月10日(当時は体育の日だね)発売の『剣の舞』をテレビで見たあたりかな?
ローラースケート履いて、剣を持って、キンキンと剣ぶつけ合いながら歌ってたよね、確か。
・・・これ見て、『ど〜なんだろ?』って子ども心に思ったね。
んでもって、89年の『太陽がいっぱい』あたりまでは記憶があるんだけど、その後はまったく覚えてない。
・・・『太陽がいっぱい』は大江千里が作ったんだねー、へぇ〜。
まぁ、後にも先にもアイドルに燃え上がったのはこれが初めてだったって話で。
・・・あ、でもWINKにも少し燃えたかな?ボヤ騒ぎぐらいだけど。(苦笑)
総括の最後に、当時誰にも言えなかった光GENJI話をひとつ。
『ガラスの十代』の曲のね、歌詞をかなり誤認してたことにかなり後に気付いたという笑えない話。あの曲の歌いだしが確かこうで、
『言わないで 言わないで さよならは間違いだよ 何もわからない同士・・・』
これのね、『同士』をね、俺は『ドーシー』って人の名前だと思ってた、当時はね。
<小学生の俺的解釈>何もわからないドーシーはさよならの使い方も知らないのか、馬鹿だなー・・・って感じでね。(笑)
でね、この曲のサビも誤認してた。サビはこんな歌詞だよね、確か。
『壊れそうなものばかり集めてしまうよ 輝きは飾りじゃないガラスの十代』
十代は重大だと思ってた。当時の俺的に解釈するとこんな感じ。
<小学生の俺的解釈>ドーシーはね、馬鹿だから壊れそうなものばっか集めやがるのよ、
でも、ガラスにとっての重大な事ってのは強度じゃなくって輝きなんだ、輝きは飾りじゃねーんだ・・・ってね。
・・・すっごいでしょ?この無茶苦茶な解釈。子どもって無敵だね、ホントに。飛鳥涼もビックリ!
以上がこの約15年間の狡猾な総括の恫喝である。(韻を踏んでみた、特に意味はない)
短くまとめると、光GENJIよりファミコンや缶蹴りに夢中になったって事だね。(笑)
あっ!もうひとつ、思い出した!
確か、小3の時(かな?)の運動会で『Diamondハリケーン』って種目があったけどあれって光GENJIの曲からパクったんだよな、多分。
何かね、手の甲に紙で作った花をつけて踊るのよ。何もダイヤでなければ、ハリケーンでもなかった。
・・・あぁ、また苦い思い出をひとつ掘り起こしちゃったなぁ。
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